子どもが一人机に向かって音読している、シコシコと作文を書いているというのでは、意味がありません。とにかく「子どもにつきあってやる」ことが大切。音読の場合は料理をしながら背中で聞いてもかまいませんが、それでもときどき「もう少しゆっくり読んで」など、声をかけて「きちんと聞いているよ」というメッセージを送り続けることが大切です。また、作文は「子どもに書かせて、あとでそれをチェックする」というのでは意味がありません。それでは学校教師と同じです。そうではなく、一緒に机かテーブルに向かい「この話を入れてみたらどう?」「そうそう、あんなこともあったじゃない?」などとアドバイスをすることが必要です。ただし、これもやり過ぎると「だったらお母さんが書けば」となってしまうので、あくまでも「適切・適宜」に行うことが大切なのは、言うまでもありません。
歴史を振り返れば、紀元前30年ごろにはクレオパトラ7世がすでに強烈なアイラインで迫力のある目を演出していた。しかし、クレオパトラと日本人のアイメイクには決定的な違いがある。クレオパトラの目力とは、もともと大きく迫力のある目をさらに強調したもの。一方、日本人は、目が小さい、まつげが短いというハンデ(東洋人の魅力ともいえる特徴)を補おうとして、目力アップに走る。日本人の目力志向とは、ぱっちりと大きく黒目がちな目と、ふさふさと量が多く、くるんとカールしたまつげを理想としている。いつまでも西洋コンプレックスから抜けきれない男性ファッション誌とは違い、女性誌は現実を踏まえたノウハウの提供に長けている。日本人の切れ長の目を生かしつつ、目をくっきりと見せる技を紹介してはいるが、それでも理想はできるだけ大きい目、大きく見える目だ。
今は葬儀社と遺族とだけで葬儀の手順の打ち合わせが行われるが、ここに宗教者が加わるといいだろう。予算のことも気になることだが、まず第一に必要なのは、死者と遺された自分たちの関係を考えること、自分たちが死者をどのように送りたいのか、をじっくりと考えることだ。遺族は遺族としての思いを抑えこんだりせず、きちんと吐き出したほうがよい。第三者である宗教者はそれを汲み取って、どのような形がいいかアドバイスできるし、それを参考に遺族は葬儀を組み立てることができる。この枕経から始まる宗教者、葬儀社との打ち合わせ過程を「前葬儀」という。共感する第三者と遺族が、死者の送り方について、じっくり考える時間を表した非常にいい言葉だ。おそらく今、一番欠けているものは、この前葬儀という時間だろう。
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