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賃貸アパート、不動産物件ワンポイントアドバイス

テーブル式の食卓では、昔の茶の間のように宗族それぞれの席がおのずから定まる、というわけにいかない。これは、戦後、日本の亭主が家長としての権威を失ったからでもあるだろうが、それ以上に、テーブルの置かれた食堂が茶の間のような舞台装置を完備していないためである。つまり、茶の間には茶だんすや長火鉢のような大道具、小道具がととのえられていて、それが、ちゃぶ台や掘胞燧を取り巻く席のひとつひとつに個性を与えていたのだが、テーブルの席には、少なくとも日本人の感覚では、たいした区別がない。

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もちろん、家族の座る席が決まっている家庭もあるだろうが、その場合でも、席が昔のように生活様式に根ざして確定的になっているのではなく、その家族の習慣として便宜的に定まっているにすぎないので、家族各々の役割を象徴する力は持っていないのではないか。またそうしたきまりさえなく、その日その時の気分次第で、皆が勝手な位置に座るという家庭も少なくないようだ。茶の間や囲炉裏ばたの席次の定まり方は、戦前の家族制度における夫の家長的権威を背景にしたものだから、それをそのまま今日の家庭に持ちこむことはできないし、ぼくはもとより家長的権威の復活を望む者ではないが、かと言って、どの席に座っても良いということが民主的だ、とも思わない。むしろ、室内空間か一つの席をある人のものとして特異化する根拠となるような方向性や序列を失ってしまった現状に対しては何か物足りぬ思いがするのだ。